untitled (2025/12/31)

大晦日の今日、今年最後に見た夢は野崎島の海に潜る夢だった。

今年は撮影で離島に行くことが多く、島に深く縁のある一年だった。
フェリーや漁船など、いろいろなタイプの船で、いろいろな海の上を揺られて楽しかった。船、大好き。
長崎県の五島列島から、さらに高速船を乗り継いで行く野崎島は、かつて潜伏キリシタンが暮らした地で、海を見下ろす島の高台には、信者たちによって建てられた旧野首教会という教会がある。この教会の修繕に携わる左官職人からの撮影依頼で、私は春と秋の二度、この島へ向かった。
古くは3つあった集落も、高度経済成長の影響を受けて相次いで廃村となり、1990年代には無人島になったこの島。
今では400頭を超える野生のキュウシュウジカが生息していて、人々がのこしていった集落跡を自由に駆け回っている。
彼らが人間に近づいてくることは決してないけれど、少し離れたところから、常にこちらをじっと見ている。
島のどこにいても、たくさんの瞳に見つめられる不思議な島。

私は、空き缶の中に印画紙を詰めたピンホールカメラを島のあちらこちらに仕掛けた。太陽の軌道を印画紙に焼き付けるためだ。
Solargraphyといえば、2020年、イギリスのハートフォードシャー大学内の天文台で見つかった一枚の写真が話題になっていた。とある学生が天文台にピンホールカメラを設置したまま回収するのを忘れてしまい、カメラは2953日もの間、太陽の軌道を露光し続けたという。なんてロマンチックなのだろう。人々に忘れられてもなお、小さな針穴が写し続けた光の蓄積。私もいつかカメラを仕掛けたことをすっかり忘れて、100年後なんかに偶然発見されたい。
当時のポスト

私は、頼りないほど軽いこれらのカメラを、木々や教会を囲む足場に結束バンドで固定して、島を後にした。
それからは、ふとしたときに、「今この瞬間も、あの空き缶にあいた針穴は、島や海を見つめているんだな」と思いながら過ごした。目が増えたような気がした。
夏至を越えたある秋の日、私はカメラを回収しに、ふたたび島を訪れた。
しかし、いくつか仕掛けたうちの一つがなくなっていた。巣作りのために野鳥が抜き取ったようだった。左官さんは残念がったが、私はどこか嬉しかった。シャッターが開いたままのカメラが、いまもどこかでこの島を写し続けているのかもしれない。姿の見えない写真が延々と続いていることが嬉しかった。
回収した空き缶から取り出した印画紙には、夏至を過ぎ、冬至へと向かう太陽の道すじが、ぼんやりと写っていた。

年始に、今年はたくさん移動したい!と言っていたら、この一年、本当にいろいろなところへ行くことができた。
私の移動の大半は、旅行とは呼べないような宙ぶらりん時間でできている。よくわからない街でよくわからない時間を過ごすために生きている。
来年も移動を続けたい。

2025.12.31