Heimat Loss (2021)
2021年12月16日木曜日 10時から日没まで
高島さん家の蔵 2階にて (福島県南相馬市小高区上町)
南相馬市教育委員会
アーティストインレジデンスみなみそうま 群青小高2021主催
小高という地との出会いは、埴谷雄高の本の中でした。
埴谷雄高の本籍地は小高で、多くの著書で自身と小高の関係を綴っています。
彼は小高に住んだことはありませんが、祖父の墓石が小高にあるというたったひとつの理由によって、家も身寄りもない小高から本籍を移すことなく生涯を過ごしたそうです。
小高の祖父の家がなくなって以来、自分には故郷と呼べる場所がなくなってしまったと語る埴谷は、作中で自身を
「ハイマートロス(Heimat Loss)」、
つまり故郷喪失者であると名乗っています。
同じく転勤族で、根無草として21年間生きてきた私は、故郷を持って生きる人々を小さいころから羨ましく感じていました。
ずっと、"郷愁"という気持ちを知りたいと思っていました。
「ハイマートロス」という言葉は自分にも当てはまるようで、埴谷の作品が好きになり、埴谷のかつての故郷である小高をいつか訪れてみたいと思うようになりました。そして、山の中にあるという般若家(埴谷の本名は般若豊。)の墓を、ひと目見てみたいと思い、このレジデンスに参加しました
小高へ来てみると、般若家の墓の存在は有名なものの、ほとんどの人がその明確な場所を知りませんでした。(埴谷自身も墓石を訪ねるのに苦労し、福島まで来たにも関わらず、辿り着かぬまま帰ったことがあると綴っていたほどです。)
市役所にお勤めの安部さんが、20年前に一度訪れたという記憶を頼りに、いくつかの藪を分け入って、一緒に探してくれました。
先を行く安部さんの、「濵本さーん!ありましたー!」という声のするほうへ、泥道を進み、急斜面の山道を登りました。
すると、突然木々が開けてお堀の跡地のような空間が現れ、その中心にひっそりと墓石が立っているのが見えました。
そのほかには何もなく、宙から降り立った宇宙船が残していったモノリスのような不気味さに圧倒されました。
自然のなかにしずかに佇む立派な墓石を目の当たりにした私は、「本籍を移せぬまま小高を引きずっている」と話す埴谷の気持ちがわかったような気がしました。
小高に来てすぐ、白鳥や雁の群れが集まっている浦を見つけました。
越冬のために南下している最中で、村上海岸近くの溜池は、渡鳥の羽休めの場所のようでした。
ここに来ている渡鳥にも、こうして毎年訪れる故郷があるのだと思うと、羨ましく感じました。
私の足音に驚いた数千の鳥たちが空へ飛び上がります。
飛行する群れは、まるで、宙を流れる天の川や流星群のようでした。
その様子を見つめるうちに、「闇の中の黒い馬」という本を思い出しました。埴谷雄高が、夢に関する探求を綴った本です。この中で埴谷は、毎晩夢に出てくる銀河系ついて、
「無数の眩い白玉をちりばめた小さな宝冠に似た球状星団を宙に握りしめているアンドロメダ星雲」という描写をしています。
はじめて読んだときから、私もこんな美しい夢を見てみたいと思っていたのですが、空を舞う鳥たちのようすは、私がこの一文から想像していた星雲の姿にそっくりでした。
街の食堂で、店主やお客さんに、渡鳥を撮っていることを話すと、みんな口々に白鳥や雁がいる場所を教えてくれました。
大三食堂で出会った大工さんは、「井田川の水門に鴨がたくさんいるから撮ってきてよ。」と教えてくれました。
そして、
井田川に住んでいたけれど、津波によって自宅が流されてしまったことも、話してくれました。
「いまだに井田川には行けねえ。昔の街をそのまんま憶えてるから、なんにもなくなっちゃった今の姿を見たくねえ。」と。
「思い出すと悲しくなっからは!」と、記憶と感情をいっきに吹き飛ばすように声を上げて笑いながら、話してくれました。
(語尾に”は”をつけるのは相馬弁の特徴です。とても素敵。)
浦のそばの田んぼを教えてくれた谷地魚店の店主は、幾度も住まいを変えながら5年4ヶ月の避難生活をしたのち、小高へと戻ってきたそうです。
「どこに住んでも仮の宿。小高は、俺の住むところ。ここは、俺の住むところ。」という彼の言葉が、私の中でこだましました。
自然の力によって何もかもがまっさらになってしまったように見えても、そこに生きた人びとの記憶の中では、それぞれの故郷がかつての姿のまま、色褪せることなく残っていることに気がつきました。
渡鳥は、体内の方位磁石によって、毎年迷うことなく同じ地へ帰ることができるのだそうです。それも、まったく同じ木、同じ田んぼへと。
小高の街の人と、渡鳥とは、とてもよく似ていると思います。
私は、壊され、流され、削り取られて、見えなくなってしまったかつての小高の姿を探し出すような気持ちで写真を撮りました。
小高では、道端で話すうちに、「寒いでしょう。」と、だれもが家にあげてくれて、お茶を出してくれました。
それぞれ少しずつ違う、言葉のなまり具合や、家の匂い
そのどれもがとても心地のよいものでした。
これまで私は、近所の人との関わりや、地元のお祭り、実家の匂いというものを知りませんでした。
"郷愁"という気持ちを知りたいとずっと思っていた私にとって、小高には、経験してこなかったそのすべてがあるようで、何のゆかりもないこの地に対して、「ここを故郷だと思いたい」という気持ちが日毎膨れ上がりました。
私は、年に一度の地元のお祭りのように、一日限りの展示を行うことにしました。小高でしかできない展示を小高の人に見てもらう
それが、私の故郷の見つけかたであり、ハイマートロスからの脱却につながる気がしたのです。
国有形文化財である高島家蔵で展示を開きました。
毎夏南相馬市で行われる野馬追祭りのフィナーレ、火祭りと呼ばれる花火大会では、この蔵の屋上を街の人たちに開放するそうで、蔵の持ち主の絹代さんいわく、花火の特等席なのだそうです。その話を聞きながらこの屋上に立つと、体験したことがないはずの夏のお祭りの高揚感をはっきりと感じることができました。
蔵へ行ったのは真昼間でしたが、私は間近に上がる大輪の花火を見ました。デジャヴのように。
小高で撮影した写真と映像のほかに、梯子を設置しました。これは、やっちゃん(林康行さん)から借りてきたものです。
やっちゃんは、「柚子取っしゃこ!(=柚子取りに来い)」と声を掛けてくれた小高の人で、
私は展示の数日前、やっちゃんと一緒に4メートルほどの立派な柚子の木から黙々と柚子を収穫しました。そのときの柚子と、収穫に使った梯子を会場に置きました。
今回の展示は、故郷喪失者である私自身と、小高に住む人びとのための展示でした。
すべてがこの地で完結する展示を行いたかったので、写真と映像はもちろん、会場である蔵や、柚子、白鳥の羽根、やっちゃんの梯子、小高小学校から借りたプロジェクターなど、すべて、ここ小高でしか調達できないもので構成をしました。
たった二週間の滞在でしたが、帰るころには、なんだかもうずっと長くここに住んでいるような感覚がありました。
私は渡鳥と同じように、ここに留まることはなく、次の場所へと移ってゆきますが、また必ず、小高を訪れる気がしています。
それも一度きりではなく、渡鳥のように何度も何度も。
今回の滞在中のすべての出会いによって、小高は、私にとっての故郷となり、"帰る場所"となりました。