8月15日

終戦の日。
いつにも増して、戦争のことを考える今年の8月。
8月5日から11日まで、横浜市民ギャラリーで開催していた個展、「ー・・」の期間中、
神奈川新聞の矢部真太記者の記事をきっかけに、
お父様が空の特攻兵だったという方が来てくださった。

海軍に所属していたお父様は、特攻のリストの中に、「回天」や「桜花」に並んで「伏龍」の名前を見つけ、
どんな作戦かは知らないまま、伏龍に志願しようとしたのだそう。
すると、伏龍の作戦内容について知っていたらしい同期の志願兵に、「伏龍だけはやめろ。」と言われたという。
それで、お父様は伏龍ではなく航空隊に手を挙げた。
お父様は8月12日に出撃をすることになり、出撃の直前に、ご家族は故郷の栃木から遠く離れた三重へと、
さいごのお別れをしに行ったのだそう。
しかし、数日後、彼はご家族のもとに生きて帰ってくることとなる。
12日は天候が悪く、飛行機を飛ばせなかったため出撃を免れたのだ。
次の出撃命令を待つうちに迎えた終戦の8月15日。
特攻兵は一番に米軍に射殺されるという噂によって、ほかの兵士よりも早く復員させられたので、
お別れからほんの数日後にお父様がふらりと家に戻ったときは、ご家族みんなが驚いたという。

この方のお母様も空襲に2度遭ったそうで、1度目はご友人を2人を亡くし、2度目はお母様ご自身に爆弾が当たったという。
このお話しをしてくださったご本人は、終戦から10年後の1925年に生まれた。
お父様とお母様が生きていてくれたおかげで、日本での戦争を知らない時代に生まれた私がこの方と話をすることができた。
家族みんな無線や通信の扱いに長けていたそうで、家ではふざけてモールス信号で会話をしたという。
なんて素敵なご家族なのだろう。
「ちょっと話が逸れるけど…。」と言いながらも、話してくださったこのお話。
かつて、たしかにあった家族の時間を、時空を超えて一瞬覗くことができたようだった。

まだ戦後の香りが強く残る時代に生まれたというこの方は、「これからの日本は戦争をしないためにどうしたら良いかを考える必要がある。」と続けた。
これからの日本は戦争をしないためにどうしたら良いか。
私はそのことを考えるまだずっと手前にいる。
私は、「かつて、ここで、こういうことがあった」ということを、今の時代にもう一度記すことが目的で
今回の写真集、『ー・・』の出版と展示を行った。

海を、横須賀を、伏龍を通じて、戦争が非現実的なものではなく、自分ごとであると考えること。
過去と今は続いているということを感じること。
これらは私が24年間生きてきて、今年はじめてできたこと。

私の写真を見てくださっている方は、私と同世代の方が多いと思う。
頭上を通る飛行機に怯える生活や、顔も知らない人を殺す気持ちを知らない私たちが、この先どうしたら日本で「戦後」を続けていけるのか。
一緒に考えて、話したいと思った。
どうせ迎える未来。人と人が殺し合うことのない未来がいい。
人間が殺し合いを始めれば、ほかの生きものたちや風景も死ぬことになる。
大好きな海や、鳥のさえずり、蝉の声、自然の景色が、戦争の色がないそのままの美しさをもっていてほしい。

最後にその方は、「あなたのような若い人が、こういった形の発信を続けていってください。」と言った。
約束したので、考えること、発信することを続けていきたい。

2025.8.15